「私、転職するんです」という言葉を聞く瞬間
きゃら香房
川上 智子さん
初級調香講座は転職の館
あくまで私は香りの専門家であって、転職のアドバイスなどしません。講座で教えるのも、もちろん香りの知識や調香技術です。
それなのに、不思議でしょ? 初級調香講座の生徒さんたちは、3〜4カ月もすると顔つきや表情が変わってきて、キレイになる。そして6カ月もすると次々と転職していくんです。中には香りの世界に魅せられ、香りにまつわる仕事に就く方もいますが、香りとは関係なく転職する場合が多いですね。多いときは、10名弱の生徒さん全員が転職した、というクラスもあるほどです。
嗅覚って、五感の中でも特殊で。直接脳とつながってるんですよね。だから香りは、本能や感情にすごく訴えてくる。もしかしたら、調香教室に通って嗅覚を刺激することで、“自分は本当はどうしたいのか”がわかるのかもしれません。
調香教室の生徒さんは若い方が多いので、ちょうど転職のタイミングと重なることもあると思いますが・・・。以前、こんなことを言った生徒さんがいました。「ここにくるまでは転職ってすごく大それたことのように感じていたけど、そんなに大したことでもないかなって思えるようになった」と。おそらく、今までとは違うところが目覚めて物の見方が変わる、というのは間違いないでしょうね。
だから、生徒さんから転職宣言が出たときは、「来た!」ってうれしくなっちゃいます。
「くさい」と言われてほくそ笑む
博物館など体験展示の仕事では、とんでもない香りを作るよう、オーダーがくることも。例えば、特別天然記念物のオオサンショウウオ。当然かもしれませんが、オオサンショウウオの匂いは私も嗅いだことがありませんでした。
そこで現地に赴き、生のオオサンショウウオと親しく触れ合い(笑)、香り、というか匂いを嗅いだわけです。なめし革のような匂いでした。詳しい成分については企業秘密なので言えませんが、嗅いだ瞬間から、いくつかの香料が頭をよぎりましたね。男性用のフレグランスに使われるような香料も含まれていました。
帰りの新幹線の中で、オオサンショウウオの粘液を含ませたムエット(試香紙)を嗅いで確認しながら、処方のメモはほぼ完成。周りからはへんな人だと思われたかもしれませんが・・・。
博物館では、「こんなくさい匂いでも再現することができるものなんだ」と驚かれたとか。つまり、ときには完成した香りを「くさい」と言われてほくそ笑むこともあるわけです(笑)。
突然狼のもの真似を始めた男の子
今までで最も印象的だった仕事は、音と香りだけでイメージを喚起するシアター。地方のミニ博覧会のようなイベントで、期間限定で開催されました。要素は、立体音響と香りとナレーションのみ。森〜花畑〜海へと移り変わるわかりやすいストーリーでした。
場内が暗くなって鳥や虫の声、葉擦れの音と共に森の香りが漂うと、突然狼のもの真似を始めた男の子がいたんです。驚くべきことに、その後の回でもなぜか狼が出没(笑)。一人が出した狼の声に、さらに狼の声で応えた子もいました。雷が鳴る場面で「鬼が出た!」と言った女の子もいます。すごいでしょう?
海の場面で、「子どもの頃浜辺を走ったときのような気持ちになった」と涙を流した車椅子のおばあさんもいました。
やはり香りは本能や感情と深く関わっているんですよね。このシアターは期間限定だったので、どこか常設でやってくれないかなあと思っています。
最後におまけの小さな幸せ。初めてお会いする方に、「香りの仕事をしています」というと、たいていアロマテラピーをイメージされます。「いやいや、そちらの香りではなくて」と訂正したときの相手の困惑した顔を見るのも、実は密かな楽しみだったりします(笑)。
インタビュー 山口 彩 / 撮影 辰巳 隆二