キッチン棚にオーガニックのパスタが並ぶ瞬間
テキスタイルデザイナー
内藤 晴子さん
異国でマイノリティとして生活する不安と喜び
いつもだったら、2つで$1.00-のパスタを手に取るところを、奮発してオーガニックの手ごねパスタが選べるとき。そんな、日常に加わるプチ贅沢がうれしいんです。些細なことでも、生活の質が上がる≒仕事を頑張った結果だと思うから。
アメリカ・ニューヨークで生活して8年。こちらで生活するようになって特に、健康でいられること、何のトラブルもなく1週間過ごせたこと、そんな当たり前のことに幸せを感じるようになりました。日本の「当たり前」がない外国で生活しているから余計になのだろうと改めて思う一方、そういう年齢になったのかな? とも感じますが(笑)。
日本でキャリアを積んだテキスタイルの分野をベースに、テキスタイルデザイナー、ヘナアーティスト、レタッチャーと仕事の幅を広げつつ、今に至ります。現在どれも仕事として楽しんでいますが、同時に、不安と喜びや楽しみは常に隣り合わせで、感情のジェットコースターは動きっぱなし!
マイノリティとして生活することで見えることも多々あります。仕事をするにはまずビザが必要で、そのビザ取得は簡単ではなく、能力があっても就きたい仕事ができるとは限らない。医療費は高すぎて、おちおち風邪なんてひいていられない・・・。日本で生活していたときには感じたことのなかった、異国で生活するが故の不自由さがあるからこそ、幸せを感じるポイントが変わってきたのは実感します。
いい歳してまたゼロからスタートのジレンマ
日本では、テキスタイルの企画&営業をしていました。当時、デザインもしてみたいと思ったこともあったけれど、現実は難しかった。とはいえ、自分の仕事は存分に謳歌していました。企画が通ったり、売れるモノが創れたときはまさに仕事のやりがいを感じていたし、そこから更に欲も出ました。「もっともっと!私が、私が!」と、上昇志向むき出しでしたね、あの頃の自分は。
それが、30代半ばに差し掛かったとき、がむしゃらでなくなったんです。任される仕事は増えていたし、もっと喜んでいいはずだったのですが。このまま走り続けたら息切れしちゃうかもしれない、という不安だけが先走って。仕事は日々こなしていくものになりつつあり、結婚したいな、とか、趣味のサルサ・ダンスに没頭したり・・・気持ちが仕事以外の自分の内側に向いていきました。
こういう思いを抱えるって、多くの人が通る道なのかもしれないですけどね。特に働く女性は。
そんな心境の変化や身のまわりの変化も伴って、ニューヨークにやってきました。まっさらな状態、言ってしまえば、ゼロからのスタート。日本のキャリアを活かしたいとは思っていたけれど、それがどれだけ難しいことか痛感しました。仕事の内容はともかく、これまでと異なる環境の中で、生活していくことが精一杯でした。
「半人前」だからこその原動力。
日本での経験が武器にもなる
その後、ある程度時間はかかったけれど、ラッキーなことに、テキスタイルの図案スタジオが最初の職場となりました。かつてデザインしてみたいと思っていたので、素直にうれしかった。テキスタイルのキャリアがあるとはいえ、デザイナーとしてはひよっこ、アメリカの繊維業界では半人前。だからこそ、「もっと頑張らなきゃ」と謙虚な気持ちになれたのは確かです。
日本での経験が活かされることもありました。企画&営業で売れるモノを見てきたので、流行りの傾向がわかったり。だからと言って、私が描いたものが売れるかというと、そうではないのですが・・・(笑)。
あるとき、商品のスカーフが積まれていたのですが、その畳み方がすごく雑なことに気づいたんです。よく見てみたら、端と端をしっかり合わせていない。そりゃきれいにならないわけで、畳み方以前の問題・・・。が、しかし、私の常識&基準は日本の社会で得たものなので、それを何も言わずしてこちらに望んでも仕方がない。
どうしたら皆にわかってもらえるかと考えた結果、折り紙の文化がないからか? と、皆に折り紙を教えました。しっかり端と端をくっつけることから。皆、なるほどと思っていたようで、その後はいれいに畳まれたスカーフになりましたが、数日後には元通りに・・・。習性は1日にして成らずだと実感した瞬間でもありました。
「半人前」だからこその原動力。
日本での経験が武器にもなる
同じテキスタイルでも、アメリカと日本では市場が大きく異なります。特にニューヨークは世界のアパレルが集まることからも、市場が大きいうえに開けているため、何かのきっかけである作品が誰かの目につき、世に出ることは珍しくありません。日本で夢見ていたことがすぐ目の前にある環境にいられることは、貴重です。
実際、私にもそんなことが起こったのだから、びっくりです。自分がデザインしたものが、アメリカの女子プロテニス、ビーナス・ウィリアムズ選手のユニフォームに使用されました。世に出る作品だけが全てとは思わないものの、やはり実際目にすることができるのは、励みになります。
現在、テキスタイルから、ヘナ、レタッチと、仕事の幅を広げながらそれぞれを楽しんでいます。どれも「染め」という共通点があるみたい。日本でひとつの分野に対してがむしゃらに働いたこと、あれがあったからこそ今があるのは言うまでもありません。今後は、それぞれの仕事での可能性を無駄にせず、前向きに取り組んでいきたいです。日々の生活にちょっとした贅沢を取り入れていけるように。
インタビュー 巌 真弓 / 撮影 Mayuko
テキスタイルデザイナー
内藤 晴子さん
日本で美大卒業後、テキスタイルの会社に入社。10年以上繊維業界で働いた後、語学留学のためアメリカ・ニューヨークへ。その後、ニューヨークにあるテキスタイルデザイン会社に入社。2年勤めた後に結婚し、別のインテリア・テキスタイルの会社に転職。しばらくして会社がカリフォルニアに移転することになるが、ニューヨークに残ってフリーランスでテキスタイルデザインの仕事を始める。テキスタイルデザインの仕事のほか、パーティやイベントでHenna Tatoo Artの仕事も楽しんでいる。また、フリーランスで働く傍ら、現在は広告写真のリタッチ会社に勤務し経験を積んでいる。